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2021.01.11

忖度力 VS. 読解力

  池上彰さんが、『社会に出るあなたに伝えたい なぜ、読解力が必要なのか? (講談社+α新書)』という本の中で、学校教育における読解力の問題点を指摘しています。

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 池上さんは、『しかし日本の教育現場では、出題者の求める答えを推測する力、すなわち「忖度力」を重視しているのではないかと思われる場面に出くわすことが多々あります。』と指摘。 本来の「読解力」である、『文章などの事実に向き合って、相手の言おうとしていることを自分なりに一生懸命考え、正しく解釈する力』ではなく、 『「先生や出題者は、どんな答えを求めているのか」と考え、マルをもらえる答えを見つける力』である「忖度力」が重視されていると言います。

 森友問題などで、「忖度」という言葉がよく知られるようになりました。 「忖度」という言葉の意味は「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」だそうですが、池上さんは『忖度力とは、相手に配慮することでその先にある「自分にとっての目先の利益」を素早く見つける力』と定義。 出題者の意図を「忖度」することで学生は良い点が取れ、首相の意図を「忖度」することで官僚は出世出来る、というわけです。 「忖度力」のある子供が良い成績をとり、エリートとして官僚になり、そしてまた「忖度力」を発揮して出世する、という構図です。

 言うまでもなく、「忖度力」と「読解力」は別のもので、「忖度力」を磨いても「読解力」はつきません。 しかし、私自身、「出題者の意図は・・・・」というような指導に身に覚えがあり、大いに反省するところです。 ただ、池上さんも指摘するように、入試問題等そのものが「忖度力」を問うようなものもあり、生徒を指導する立場としては難しいところではあります。

 さらに、池上さんは『「題材として採られた文章を初めに読むのではなく、先に設問を読んで何を問われているか頭に入れてから、文章を読め」という指導が存在しています。』とし、『そういう指導を受けていると、本文をちゃんと読んでじっくり考えるということをしなくなっていきます。 これでは読解力がつくわけがありません。』と断じています。

 実は、当塾では以前より、先に設問を読むということは禁じています。 池上さんの言うように、それでは「読解力」がつかないと考えているからで、まさに「わが意を得たり」というところです。 しかしかくいう私も、「ここでは設問先読みは禁止だけど、学校のテストや入試ではやってもいいよ」と言っていたりします。 限られた時間内で解答するためにはやむを得ないテクニックかな、と思うのですがどうでしょう?

 自分の教える生徒には、本当の「読解力」を身に着けてもらいたいと思う一方、学校のテストではいい点を取らせたいし、入試はもちろん第一志望に合格してもらいたい。 そのためには「忖度力」もある程度は必要、というジレンマ。 「日本の国語教育は間違っている」、と言うのは簡単だけど、それを正すだけの知恵も力もない一介の塾講師としては、何とか両者を両立させるべくじたばたするしかないか。 池上さんの本を読んでそんなことを考えたのでした。

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秋山 深雪(あきやま みゆき)

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